
ヨハネス・フェルメールの最高傑作である『真珠の耳飾りの少女』
頭に巻いているターバンの「フェルメール・ブルー」といわれる鮮やかさが、絵全体に気品と神秘的な美しさを与えている。 この絵を見つけた時の、2人きりで目が合っているかのようなドキリとする瞬間、ゾクッとするほどの生々しさは、 モナ・リザとは違った魅力ですよね。
でも、何か違和感を感じる。
眉毛がない?
この絵は誰かわかっていないらしい。
これが誰かの肖像画だったら、きっと眉毛もきっちりと描いたよね。
ということは、想像上の人物?つまり誰かに似せているわけではない?
今なら、アニメの技法なのかな・・・

マネの代表作である『笛を吹く少年』
少年が立っている場所に、床と壁の境目(境界線)がどこにも描かれていない。
これは、日本の浮世絵に着想を得ていて、少年がまるで現実の空間にぽつんと浮き出ているかのような、
独特の立体感と強い存在感を表現している。
当時のフランスのアカデミー(画壇)では、 トランプのカードのようだって言われたらしい。
今なら、ポスターみたいな絵だよね、って感じかな。

ドラクロワの最高傑作『民衆を導く自由の女神』
フランス革命の熱気とエネルギーをそのまま閉じ込めた、ロマン主義絵画の記念碑的な作品。
「今まさに戦いの真っただ中にある」という臨場感と緊迫感が、魂を揺さぶり、未来へ向かって進んでいるような、震えるほどの高揚感を味わえますよね。
時代を変えようとした人間の情熱を感じます。
教科書では「かっこいい革命の絵」なのに、実寸大の絵の前に立つと、真っ先に目に飛び込んでくるのは下半分に転がっている生々しい遺体や、泥にまみれた血の跡 。
毎日いろんなニュースがあって、トランプやプーチンの戦争の現実に、「お前は人生を命がけで生きてるのか?」と、絵の中から問い詰められているような気持ちになる。

生と死の境界線を描いたミレイの『オフィーリア』
シェイクスピアの有名な悲劇『ハムレット』の一場面。
恋人であるハムレットに父親を殺され、狂気の世界に彷徨うオフィーリアが、川に落ちてそのまま歌を口ずさみながら溺れていくという、最も哀しくドラマチックな「死の瞬間」が描かれている。
どこか苦しみから解放されたような安らかな美しさが、「死」という恐ろしいテーマを、ロマンティシズムへと昇華させた描写こそが最大の魅力。
まるですべてを受け入れたかのように両手を広げている。
手に持つ花には、花言葉により隠されたメッセージがある と言われている。
首飾りのような「スミレ」: 貞節、誠実、または「若者の死」
右手に浮かぶ「ケシの花」: 睡眠、そして「死」
流れる水に浮かぶ「白バラ」: 少女の純潔や美しさ
画面左の「ワスレナグサ」: 「私を忘れないで」という哀しい願い
写真では伝わらないけど、顔の表情や水の透明感、繊細でリアルな実際の絵を見ていると なぜか涙が出てくる。

ムンクの不気味な色彩『叫び』
実は「叫んでいない」
叫んでいるのではなく、大自然から聞こえてくる恐ろしい幻聴に耐えかねて、恐怖のあまり両耳を全力で塞いでいる姿なのだとか。
孤独や恐怖という目に見えない感情を、生々しく、誰もが共感できる形に具現化した表現力が、この絵の魅力らしい。
一度見たら夢に出てきそうな色彩で、心理的なストレスを感じるせいか、あまり、好きになれない。

ルノワールの最高傑作の一つである『セーヌ川の舟遊び』
ルノワールは黒い絵の具をほとんど使わず、影の部分にも青や紫、緑を混ぜ込むことで、画面全体が重たくならず、明るく透明感のある色彩が魅力。
モネの『日傘をさす女』の色彩と似ていて、まるで続きを見ているような、水面を吹く爽やかな風を感じる。
ルノワールとモネは親友だったと言われていて、同じ光を見て描いたのに、のちに「風景のモネ」「人物のルノワール」と呼ばれるようになる。
お互いに影響を与え合いながら、切磋琢磨する最高の関係っだたんだね。
中学校の美術の教科書でもおなじみの、世界で最も有名でインパクトのある名画たち。
知っているはずの絵なのに、それをじっと見たとき、心が動く。
名画は知識だけで見るものじゃなくて、自分の心の中にある記憶や感情となにかの答え合わせをしているのかもしれない。
さて、この後は、鳴門の渦潮で船遊びをしてきま~す 。